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2016.0.6/27 月夜の囁き |
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「囁く」 (ホタルブクロ) 日本画 4号円形
以前買った円形パネル。
丸=月輪のイメージから夜の絵に使いたいと思っていました。
モチーフには野草の蛍袋と蛍の気配を、
シルエットにシーズン終わり間近の薊を加えました。
ところで、蛍の発光については、
未だにナゾが多いのだそうです。
卵や幼虫のときは発光するが、成虫になると発光しない種類。
片方の性だけが発光する種類。
発光する理由も、定かではありません。
求愛のため、敵を威嚇するため、食べると不味いことを警告するためなどなど、
諸説さまざまです。
しかし、暗闇で車を停めて、ハザードランプを点滅させると、
車の周りにたくさん集まってきて、一斉に瞬き始めることを考えると、
やはり、蛍同士、光でコミニュケーションしているように思います。
作品タイトルは、「気配」にしようか「囁く」にしようかかなり迷って、
「囁く」にしました。
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2016.0.6/20 小さな町の小さな神社で |
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角が折れて前後の脚も砕けてしまった痛々しい姿
(これを読んでくださっている揖斐川町在住のみなさまへ)
この春、揖斐川町本町通り中町の北野天神の牛が事故に遭い、
破損してしまったことは周知のことと思いますが、
代わりの新しい牛を、私の友人の彫刻家、渡辺尋志さんが作ることになり、
先日、現地に視察にきてくれました。
天神様の撫で牛は、
菅原道真の乗り物とされ、神の使いとあがめられ、
また、自分の体の病んだ部分や具合のよくない部分を撫でた後、
牛の同じ部分を撫でると治るといわれ、
地元の人々から親しまれてきました。
インターネットなどで、「撫で牛」で画像検索すると、
全国の天満宮の撫で牛をみることができ、
よく見ると、さまざまなスタイルの牛があって、なかなかおもしろいのですが、
圧倒的に多いのは、頭を低くしてひれ伏しているもので、
こんな風に空を仰ぎ見ている姿のものは、とても珍しいようでした。
新しい牛はどんななのか、
今から、とっても楽しみです。
渡辺尋志さんは、動物の石彫を得意としています。
それにしても、ここ昨今の現代アートブームで、
(いえ、これだけ定着したら、もうブームとはいえず一つのジャンルなのかも)
石の塊や木の丸太から、ノミで作品を彫りだす作家は激減してしまいました。
渡辺さんのような職人気質の作家はすごく貴重になってきています。
最近の立体作品というと、ほとんどがインスタレーションという空間芸術、
ビニールや段ボールを貼り合わせたり、吊したり、
部屋中にボールを並べてみたり・・
そんな作品ばかりが目につきます。
墓石などを扱っている石屋さんにしても、
最近は、すべて加工は中国で、
日本の石屋さんは受注発送するだけ。というところが増えているのだとか。
そのせいもあってか、石彫をするためのノミを作る職人さんも激減していて、
道具の入手が難しくなってきているのだそうです。
ホント日本の物作りは、どんなジャンルでもみんなこんな感じですね。
物作りを支えてくれる物を作る人がいない。
残念なことであり、心配でもあります。
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2016.0.5.31 領域をふやしたい |
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写生、下図、けっこう念入りに準備して取り掛かったはずだったのに、
何度やりなおしても、完成にいたらず。
完全に道を見失って、やむなく下山。。
あぁ・・・・・またか~
今年に入ってすでに2回目。
この一か月半の足踏みで、得られたものは何だったのだろうか・・
絵を描くにあたり、自分自身の中で、さらに向上したいと思ったら、
さまざまなことがあるわけですが、
日本画の場合、特に、技法の習得が不可欠になると思います。
絵の具や筆や墨や紙や膠や胡粉や箔・・などなどを、
上手に使えるようにならないと、
ぜったいに前に進めません。
自分が表現したい世界と、画材を使いこなす技術とが合わさった領域が、
今、自分が描ける絵ということになるわけですが、
今回、完成にいたらなかった作品は、
その領域外だったということなのでしょう。
いえ・・新たな技法を習得することばかり考えて、
途中で、肝心なものを見失ってしまったのが一番の原因かもしれません。
日本画ってなんだろうという疑問をもったとき、
あまりに巨大な化け物と向き合ってる感覚に陥ってぞっとしたりもします。
それでも、果てしなく優しく美しい世界は、私を魅了してやまないわけですが・・
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2016.0.5.23 ホタルブクロ |
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ホタルブクロの写生 透明水彩
ホタルブクロの写生 透明水彩
ホタルブクロの花の季節になりました。
数年前私が出会った群生は、
林道沿いの崖の斜面一面にそれは見事に咲いていました。
しかし、その後、崩落のため、一株残らず消えてしまったのでした。
でも、わずかに根が残っていたのでしょう。
翌年から少しずつ、花が見られるようになり、
そして、今年、ようやく元の状態に戻りました。
しかし安心したのもつかの間。
、林道の入り口に、崩落防止のため法面工事の通告が。
しかも、工事のための林道全面通行止めは、5月23日から9月までとあります。
かなりおおがかりな工事なのでしょう。
それよりも、早く描かなくては林道に入れなくなってしまいます。
また、全滅してしまうのだろうか・・・と心配しつつ、大急ぎで写生をしました。
蕾の形が特徴的で、断面は☆の形をしています。
線描きだけでは表現できないので、しっかりと影をつけておきました。
よく見ると、花の内側には毛がいっぱい生えています。
ホタルブクロという名前から、小さな昆虫が花粉を媒介するのでしょう。
内側に向かう毛並みで、昆虫を奥へ誘導するしくみになっているのかと思いましたが、
花を割いてみると、毛は中心から外に向かって生えていました。
これでは、小さな虫は、花芯にたどり着きにくいと思われます。
ホタルブクロはどうやら虫に媚びない性質のようです。
なにかに似ていると思ったら、桔梗の花に似てました。
そういえば、葉もよく似ています。
小さいころ見たホタルブクロは赤紫色ばかりで、白はなかったように思います。
聞くところによると、
関東には赤紫が多く、関西には白が多いのだとか・・
岐阜県はちょうど東西の真ん中ですので、
境界線が揺らいでいるのかもです。
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2016.0.5.12 想画会課外研修~京都へ |
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毎年この時期の恒例行事となっている日本画教室の課外研修。
今年は6名の生徒さんたちと一緒に、京都にいってきました。
今回は、相国寺承天閣美術館で開催中の「森田りえ子展」
そして、長谷川等伯一派による国宝襖絵で有名な智積院へ。
これ以上ないほどの最上級のお天気に恵まれて、
青葉、若葉が目にまぶしいくらいでした。
相国寺から承天閣美術館へのアプローチは、紅葉の大木が続きます。
5月の若葉の鮮やかさをそのまま画面に写したような森田りえ子さんの作品は、
どれもみんな、とにかく耀るく、雅やか。
とかく陰の世界にかたむきがちで、またそれを美と勘違いしがちな日本画ですが、
そうではないでしょ!と、森田りえ子さんの画面は、私たちに強く訴えてきます。
(ニッポンのカワイイをテーマにした女の子たちも!)
相国寺のすぐお隣は、同志社大学。
レンガ造りの建物のその最上階にある、フランス料理のレストラン。
古い教会のような雰囲気がとても素敵です。
(お料理ももちろん素敵)
東西両方に設けられた大きなガラスの窓からは、
二つの大文字が何にも遮られることなくとてもよく見えました。
送り火のときはさぞかし絶景でしょう。
相国寺から智積院に移動。
講堂の奥の「利休好みの庭」でしばしの休憩。
本当に贅沢な景色です。
心も開放されて無の境地に浸れそう。
庭に面した大書院は、長谷川等伯親子の楓図桜図の襖絵の復元が嵌め込まれていました。
本物は、講堂となりの収蔵庫に収められています。
桃山美術の最高傑作といわれる長谷川等伯一派による国宝の襖絵。
長い年月により絵の具の剥離はあるものの、
ここまでの状態が保たれているのは、稀有なことでしょう。
特に、桜図の桜の盛り上げ胡粉がこんなにも残っているとは。
森田りえ子さんの極彩色屏風絵をみたばかりなので、
この襖絵たちも、描かれたばかりのときどんなだったのか容易に想像できました。
豪華絢爛の中にも、どこかに世の無常さ儚さが漂い、
大変奥深さを感じます。
前回見たのは、東京国立博物館内での長谷川等伯展でした。
あのときは、水墨の松林図の方ばかりに目が釘付けになりましたが・・・
やはり力のあるものというのは、くりかえし見るたび、ぐいぐい心にせまってきます。
撮影禁止でしたので、ここには載せられませんが、
智積院の襖絵でもう一つ見逃せないのが、
田渕俊夫さんの水墨画。
これは数年前の課外研修で、制作段階が紹介された展覧会に行っていたので、、
いっそう感慨深く見ることができました。
水墨画のモノクロな世界は、日本画の到達点であり原点であるようにも感じます。
そしてさらにもう1つ。
講堂奥の間の襖絵。(上の2つの画像)
鳥を得意とする後藤順一さんの優しい世界。
ススキの穂の中や桔梗の下に群れるスズメたちや、
かわいらしいひな鳥から、生き物への慈しみが伝わってきます。
智積院講堂は、見どころ満載で、しかも惜しげもなく、
あますところなく見せていただけて、
とってもお得感たっぷりです。
(ちょっと視点がずれますが、受付の方の応対もとっても親切で好印象~)
この時期の京都は、どこもかしこも修学旅行生と観光客がいっぱいで、
バスはすべてすしずめ、駅は構内からすでに満員電車のような状態であるにもかかわらず、
承天閣美術館、智積院ともに、喧噪とは無縁の世界。
こんな良いところに来ないなんてもったいない。
・・・と思いますが、
穴場のまま残っていてほしいな。
なんて、勝手なことも思ったりします。
また、来年もみんなで元気にいけますように。 |
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2016.0.4.28 猩々袴 |
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「猩々袴」 F3 日本画
ショウジョウバカマと読みます。
名前だけ見ると、能の演目のような印象ですが、
春告花の一つとして、よく知られている山野草です。
低山や林の木陰でも、群生が見られるので、珍しい植物ではありませんが、
平地での栽培はなかなか難しいようで、
実際に見ようと思ったら、
やはり山で自然に生えているものを探すしかないのかもしれません。
猩々というのは、能にでてくる赤い面赤い装束の猩々のことで、
花が赤いところからつけられたのでしょう。
ハカマは、植物の部分の名称で、
茎や根を包む葉鞘のことを指します。
湿ったところが好きなのか、
ショウジョウバカマの株の近くにはよく沢蟹がいます。
満開前の花のオシベの色は濃い紫色をしていますが、
開き切ると、緑青色のような花粉に覆われます。
ショウジョウバカマが咲くと、もうこの先は、雪が降ることはないと確信できます。
確実に春の訪れを告げてくれる花です。
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2016.0.4.21 梨の花 |
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梨の花の写生 透明水彩
山桜、連翹、辛夷、木蓮、山吹・・
樹木の花のピークもそろそろ終盤となり、山は美しい若葉色に彩られつつあります。
今まで、花をつけたことがなかった家の裏の木に、突然たくさんの真っ白な花が咲きました。
蕾の先は紅色で、開花すると真っ白に変わります。
その紅色のほころびる瞬間のなんて美しいこと。
しばらく何の花かわからなかったのですが、
調べてみたら、どうやら梨の花のようでした。
桜よりも二回りほど大きく、花びらも多く、そして風が吹いても簡単には散らずに、
かなり長く咲いています。
これからこの先、毎年咲いてくれるのでしょうか。
清涼感たっぷりの白い花は強くなってきた日差しを反射して輝き、
まもなく訪れる初夏を予感させていました。
今、この美しい空を、同じように見上げている人はきっと大勢いるのだろう・・とふと思う。
この空が続くあちこちで、今日も災害や病が人々のささやかな暮らしを奪っていく。
悲しみも苦しみも飲み込んだような空の青。
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2016.0.4.11 辛夷 |
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辛夷の写生 透明水彩
新しいスケッチブックに辛夷を写生しました。
初めて向き合う題材、そして、いつもと違う感じの紙で、
ついつい力が入りすぎてしまう・・
深呼吸して描きなおす。
驚かさないようにしずかにそっと・・・
気配を写し取る
みるみるうちに花が開いてきました。
そして、かすかですが、
今まで経験したことのないような、とっても良い香り。
今まで、遠くからしか見たことがなかったので、知りませんでした。
それにしても、辛夷の花というのはなんて美しいこと。
足りないものもなく。多すぎるものもなく。
無理して良く見せようとしていた自分が恥ずかしくなります。
どんなに繕ってみても、結局自分は自分で、それ以上でもそれ以下でもない。
何者にもなれないし、なる必要もないのでした。
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2016.0.4.01 春はかけあし |
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ショウジョウバカマの写生 透明水彩
4月になりました。
麓では桜が満開ですが、山はまだまだ蕾硬し。
春先のこの時期、山で一段と目を引くのは、
なんといってもショウジョウバカマでしょう。
6弁の花びらを持つ小さな花が球状に集まって、
花かんざしのようです。
ショウジョウというのは、猩々からきています。
花が赤いからでしょう。
しかし、一口に赤いといっても、ショウジョウバカマの花の色は
実に繊細で、個体によって様々です。
ショウジョウバカマのスケッチ 透明水彩
花は散ったり落ちたりせず、
ずっとずっと咲いたまま茎がどんどん伸びていきます。
夏の山では、
花の色が退色し、緑色になったショウジョウバカマの花を
みることができます。
ショウジョウバカマのスケッチ 透明水彩
ショウジョウバカマのスケッチ 透明水彩
椿のスケッチ 色鉛筆
ご近所の方から、とても美しい椿をいただきました。
じっくり向き合って描きはじめたら、みるみるうちに開いてきます。
水彩で描きかけていたものの、あわてて色鉛筆に持ち替えました。
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2016.0.3.28 早春の不思議な植物 |
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今年初めて渓流に沿って歩いてみました。
平年なら、まだまだ雪が深くて近寄れないような場所ですが、
今年は雪が少なかったので、楽に歩けました。
まだ、なにも芽吹いていないように見えましたが、
足元をみると、小さな植物たちがすでに花をつけていました。
季節を先取りする植物たちは、ちょっと不思議な形をしているものが多いです。
今回見つけたちょっと不思議なものを、少し紹介します。
これは猫の目草。
近づいてみてみると・・・
ロボットのような四角い口の中に小さな牙が・・
枯れ葉の中に鮮やかな赤い丸。
ワイングラスのような形をしています。
中央の赤い茎はこの植物のものではありません。
キノコの一種でしょうか。
とってもきれいな苔類。
近くでみると・・・
ヒョロヒョロっとのびた細い茎の上にまん丸のボール。
そして、よく見ると、目玉のようになっていて、
いっせいにこっちを見ていたのでした。
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2016.0.3.18 散華 刻~黎明 |
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『散華』 刻~黎明 日本画 4号変形
散華シリーズ2作目
「春はあけぼの やうやう白くなりたる山ぎは 少しあかりて・・」
を、意識したわけではありませんが、
散華の画面には、前作に続き、刻(とき)を感じさせるものを描きたいと思いました。
散りゆき、咲き、実る。
終焉はあらたなる誕生を意味し、
刹那は悠久につづき、悠久はまた刹那なり。
刻~黎明 (部分)
刻~黎明 (部分)
刻~黎明 (部分)
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2016.0.3.16 古典を学ぶ |
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尊敬してやまない先生の元で3日間みっちりと、
古典技法を中心に日本画の基礎を学ばせていただくという、
人生最大級クラスの至福のひととき。
過ぎていく時間の速さがうらめしい・・
画像は絵絹。
額装が主流になった現代において、絹に絵を描くことは少なくなりましたが、
日本画の真髄があるように思います。
ピンと貼られた絹の画面と向き合うと、思わず背筋が伸びます。
墨、胡粉、膠、どうさ、紙、筆、刷毛、絹、金箔、銀箔、さまざなま原料の絵の具・・・
日本画の材料は基本的なものだけでも、実に数多くあり、
また、それぞれ奥深く、使いこなせるようになるには、
長年の勘と経験が必要です。
それにしても、先生の線の見事なこと。
やはり線一本にも、人となりが現れます。
「一より習い十を知り、十よりかえる元のまた一」
十どころか、最初の一すらもできていなかったことがわかり、
恥ずかしいかぎりでしたが、
それがわかったことが大きな収穫でした。
まずは、人間性も高めなくては・・
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2016.0.3.01 夏野苺 |
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夏野苺 日本画 M3
実はこれは、去年の夏に描いた作品で、散華シリーズの第1号となるはずでした。
イメージ的には、こんな感じです。
↓
散華形の画面に構成するというのは、実際に描いてみると実に難しく、
画像ではわかりにくいかもしれませんが、
この絵では、この形に完全に負けてしまいました。
画面の幅が、部分部分で違っているので、
ほんの数ミリずれただけで、まったく雰囲気が変わってしまいます。
また、装飾的な形の画面には、
絵も装飾的でかつ重厚でなければバランスがとれないようでした。
そこで2作目として描いたのが、先日の「刻~豊穣」です。
見慣れているということもあるかもしれませんが、
四角い画面というのは、こんなにもおおらかだったとは・・
庭に実った苺です。
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2016.0.2.19 「散華」 刻~豊穣 |
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「散華」 刻~豊穣 日本画 4号変形
小学生の6年間、近くのお寺の日曜学校に通っていました。
そこでなにをしていたかというと、
ひたすら読経だったような気がします。
通うことになった経緯は覚えていませんが、
お経は今でも諳んじることができます。
経典に、栞代わりに挟んでいた花びら型の紙。
散華という名を知ったのは、ずっと後になってからですが、
その美しい花びら型の紙は、
大きな法要の際、お経の最中に撒かれたり、
お華足をいただくときに添えられていたりと、
なにかと身近な存在でした
今、美術散華は、版画から日本画、コンピューターグラフィクスなど、
多くの作家が多様な方法で描いています。
花びら型のこの形に心惹かれる人は、
私の他にも、多くいるのでしょう。
刻~豊穣 (部分)
刻~豊穣 (部分)
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2016.0.2.10 中学生作品 |
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今日の美術室の窓からの景色。
粉雪が舞い、時々一面真っ白になりました。
久しぶりに中学生作品の紹介です。
2年生は透明プラスチックドームと粘土で
ランプシェードをつくりました。
モチーフはあじさい。
上に乗ってるカタツムリがポイントです。
これも同じ材料を使ったランプシェード。
ツルバラが巻き付いている・・のではなくて、
顔だそうです。(笑)
最近の粘土の質の多様さには
本当に驚かされます。
これは、樹脂でできていて、乾燥させると、
半透明になりスリガラスのような質感になります。
粘土特有の臭いもありませんし、
ラップなどで包んでおけば、数か月は柔らかさを保つことができます。
昔は、紙粘土と油粘土、テラコッタくらいしかなかったものですが。
ライトをつけるとこんな感じ。
もっと暗いところで撮影できたらよかったのですが・・
3年生は、水墨画と篆刻。
卒業が迫ってきているので、
篆刻の印は卒業記念作品ということで、
今、さらに大きなサイズのものを制作中です。
一生使えますように・・
うちわは季節外れですが、
生活用品に水墨画を添える、ということを体験してもらいました。
ゆったりとした涼し気な作品。
金魚の表情が良いです。
茄子が6つ。
「みんなちがってみんないい」
金子みすずさんの詩のような作品。
子どもの描く線には、時々、はっとさせられます。
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2016.01.31 「吹き寄せ」~日本画とはなにか |
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吹き寄せ (日本画) F3
吹き寄せ (部分)
吹き寄せ (部分)
吹き寄せ (部分)
今回の作品は、以前のスケッチそのままを下図にしてみました。
一般的に日本画の場合、
写生のまま本画にするということはあまりない思います。
写生を元に、構図を組み立て、余分なものを省き、線を整え、
何枚もの下図つくりを経て、洗練された画面を作っていくのです。
伝統的日本画の緊張感のある美しさはそうして生まれると思います。
しかし、
何度も推敲を重ねることによるその方法は、
最初にモチーフに対峙したときの瑞々しい感動を、
極端に薄れさせてしまうリスクも孕んでいます。
また、日本画の制作過程の、複雑で時間がかかるプロセスも、
最初の感動をさらに遠くに追いやってしまうように思います。
要らないものを削ぎ落して、
感動のエッセンスを凝縮させていくのは、
とても難しいことです。
日本画とはなにか。
これは、初心者熟練者問わず、日本画を描く人みなが、
常に問い続けるテーマでしょう。
写生そのままを下図にするのが悪いこととは言えませんが、
写生から本画へと進めるときに、
構図も心の在り方も、組み立てなおす。
そこに、日本画独特の精神が生まれるのではないか。
そんなことを感じながら描いた1枚でした。
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2016.01.22 想画会作品展 |
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1月23日、24日の両日、
日本画教室「想画会」の作品展を催します。
建物の建て替えの関係で、昨年は開催できなかったのですが、
その分、今年は点数も多く、とてもにぎやかに。
そして、生徒さんたちの腕もぐぐっとレベルアップしています。
みなさん、慣れ親しんだ身近なお花をモチーフに選ばれていて、
一筆一筆に愛情を感じる心和む作品ばかりです。
会期:1月23日、24日 9時~17時(24日は16時まで)
会場:揖斐川町交流センター 交流センターまつり内
入場無料
お近くにお住まいの方、ご高覧いただければ幸いです。
また、明日から強い寒波の予報ですね。
雪になるでしょうか。
お越しになる際は、どうかお足元にお気をつけていらしてくださいませ。
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2016.01.13 「秋苑」~色彩という名の魔術師 |
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「秋苑」 日本画 P10
かなりの時間を要してやっとなんとか終わりました。
こんなにも時間がかかった一つの要因は、
絵の具の色数を多くしすぎてしまったから、だと思います。
あるタイプの画家のことを「色彩の魔術師」なんていったりしますが、
私は、色彩こそが魔術師だと、いつも感じます。
「色」ってなんだろう?
さまざまなとらえかたがあるわけですが、
絵画において色というのは、
隣接する色と相対的に成り立つものであるといえると思います。
明るい、暗い、青い、赤い・・・
今までこうだと信じていたのに、隣に置く色をわずかに変えたとたん、
まったく違う色になってしまった。
それは視覚トリックの一つとして、日常的にもよく経験することでしょう。
そもそも色というのは、目には見えているけど、
実体があるわけではありません。
感覚にすぎないのです。
だから、私が見ている色は、私だけが感じている色であり、
世の中の誰一人として、同じようには見える人はいないはずです。
そんなあやかしまやかしの魔術師が、
今回は、画面の中で何度も暴走してしまい、
30年近くも日本画と向き合っているというのに、
いまだにからかわれているような感覚にとらわれたのでした。
「秋苑」 部分
「秋苑」 部分
「秋苑」 部分
「秋苑」 部分
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2016.01.02 フローズン |
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十何年ぶりでしょうか。
雪のない新年を迎えました。
でも、朝はとても冷え込み、なにもかもが凍り付いていました。
小さな栗のイガ、サザンカの花びら、ヨモギの葉、
真っ赤なのはブルーベリーの葉っぱ・・・
周りは静まりかえって、まるで音さえも凍り、
すべての時間が止まったかのよう・・・
そして、自然の造形のなんて美しいこと。
こんなかわいいものも見つけました。
サツキの葉っぱです。
今朝見つけた宝物たちは、
陽が当たったら、一瞬で溶けてしまいました。
動き出した時間。
新しい年の始まり。
ささやかなすべてのものにも。 |
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